■創業1932年 初代幸作により創業
トップの画像は創業者が二十歳くらいの時に上海で撮影されたものです。
【金港堂とは】 創業者の物語のようになりますが。 初代は金沢市より少し北の横山というところの生まれ。若い時に丁稚奉公に行かされ、それが嫌と当時手にしたロシア人の名刺を頼りに船に潜り込む。 そしてたどり着いたのが当時華やかしき上海。 ロシア人を頼って渡ったものの、総領事館に連れていかれ、働く場所を与えられたのがシャツ屋。 そこでシャツの縫製を学ぶ。 店主に英語の学校に行きたいと懇願し、合格したら行かせてやるとの約束をとりつけ、猛勉強をし学校に合格、そこで英語を身につける。 上海で身体を壊し日本に帰国。最初に戻ってきたのが、横浜。当時横浜のことを「金港」神戸のことを「扇港(せんこう)」と言ったらしい。今でも横浜には金港町や金港と名のつく会社が多いとのこと。 そこで習得した英語を生かし貿易の仕事に付く。 そこで貯めたお金をもって故郷石川に帰り「金港堂」というシャツ専門店を開業。 その後シャツ以外にも洋品を手広く扱うようになり。現在の店舗の地下で行なっていた縫製工場を別の場所に移す(現北陸シャツ) 現在は3代目91年目を迎える。 |
商店街のUstream番組で、少し金港堂の歴史に触れさせて頂きました。